泡のような光たち RELEASE TOUR

f:id:hayatohioki:20240324160753j:image

リリースツアーが終わった。自分達の名前を掲げてツアーをするのが久しぶりすぎて始まる前はソワソワしていたし、最高だった昨日の余韻が心に残っていて今もドキドキしている。

思えばアルバムのレコーディングをしたのは去年の夏で、みんな半袖を着ていた。

その頃の自分はたぶん悩んでいて、レコーディングしながら色々なことを考えていた。

音楽のこと、生活のこと、人間関係とか、これからのこととか、きっとみんなと同じような。

アルバムが完成したのは去年の秋で、完成した直後は、それが自分のものなのかイマイチ掴みきれないような不思議な感覚があった。

それからツアーを回って、歌いながら、真剣に聴いてくれている人の目を見て、そこに映る自分を見て、何だかやっとこのアルバムが自分のものになったような気がする。

昨日はVJがあって、ステージに向かってずっとライトが当たっていた。眩しい光のなかで目がチカチカして、閉じたり開けたりしながら歌った。

時々光が反射して、フロアに虹じゃないけど、色が反射したり、光が跳ねていたり。

そのなかに来てくれた人の笑顔があって、真剣にステージを見つめる顔があって、一緒に歌ってくれる声があって、側にはメンバーがいて、何かよく分かんないくらい綺麗で、泣きそうになるのを通り越して超真剣な顔で歌ったと思う。

そしたらアッという間に終わってしまった。

アッという間に終わってしまったから全然物足りなくて、またすぐに歌いたいなって思う。

音楽は楽しい。聴くのも楽しいし、作るのも楽しいし、演奏するのも楽しいし、録音するのも楽しいし、音楽を通して誰かと知り合うのも楽しい。

忘れっぽくて、そんな当たり前のことさえたまに忘れそうになるけれど、このツアーのことはきっと忘れないと思うから、それも忘れない。

f:id:hayatohioki:20240324160543j:image

家に帰って一息ついて、今日からまた制作を始めている。自分も聴いてくれる人もびっくりするような音が作れそうな気がするから、まだなんにも進んでないけれど、その気持ちだけ持っていればきっと全然大丈夫。

もっともっと最高な音楽を作って、もっともっと沢山の場所に行けるようなツアーをやりたいし、数えきれないくらいワンマンもやりたい。

何を書いてるのか分からなくなってきたけど、ツアーを通して考えたことのまとめみたいな感じでした。俺たちだけじゃ何も出来ないなっての同時に、俺たち次第で何だって出来るんだなって!

本当にありがとうございました!

Photo ミズキくん @sipruixi

Our Place

2023年7月、俺たちの使っているスタジオが今月末で閉まりますという衝撃のニュースが舞い込んだ。

いわゆるプライベートスタジオみたいな感じだったので、EASTOKLABではスタジオに機材を置いたままで割と自由に使わせてもらっていて、エンジニアとしてもそこのスタジオを借りていたので、オーナーからの連絡を見たとき「マジ終わった...」と思った。

とりあえず落ち着ちつけ!ということで一旦コメダにいき、たっぷりアイスコーヒーを注文。色々と今後のことを考えた。

性根がスーパーポジティブなこともあり、数日後にはまぁ何とかなるかぁ!と元気になったのだけれど、スタジオがなくなるということだけは、どうしても寂しくて堪らなかった。

20歳の頃に初めて行って、それから何年も休まず通った場所。しかもEASTOKLABではそのスタジオ以外に入ったことがなくて、今まで全ての曲が産まれた場所でもある。

じゃあ何かやりたいなってことで、最後にスタジオありがとう!の気持ちを込めて、みんなで、その場所に集まってこの曲を書いた。

何だかシンセをちょこちょこ弾くのも違うし気がして、ギターを持ち、初めてスタジオに来た日のこととかを思い出しながら、その時から使ってるオーバードライブを踏んだ。

音像も歌詞も演奏も、いつもとは全然違うかもしれないけれど、俺はあのスタジオが大好きだった分だけ、この曲が大好きだ。

スタジオの最終営業日には岡(Ba)が来る途中に熱中症で倒れてヤバかったけど、復活してスタジオに来たので、この曲だけ最後に演奏した。

あん時の俺ら、まじでアチぃ感じだったと思う。

これで全曲解説は終了。せっかくブログを始めたし、また何か書くつもりでいる。またね!

Echoes

思い入れがあるようで、無いような、いつどうやって作ったかも覚えていないけれど、ずっと昔から耳元で鳴っていたような、そんなイメージで、あまり具体的に書くようなことがない。

思えば、アルバムの選曲をするときも誰が推すでもなくリストに入っていて、特に誰が言うでもなく、当然のようにこの位置にあった。

自分の制作の根源には記憶というものが大きく鎮座していて、音楽を作るときは、記憶や体のなかかから、音や言葉を拾い集めるように引っ張り出して、それを組み合わせていく。

この曲もそんな感じで、短い時間でサクッと作った気がする。

曲について書くことがあまりないので少し脱線するけれど、この曲も含め、今回のアルバムも、過去の作品も、ほぼ全ての曲を “waldorf” というブランドの “blofeld” というシンセで作っている。特にこの曲のシンセは、小さな粒子がシャワーみたいに体を包んでくれるようで、いい音だ。

買ったのは7-8年前で(当時は中古で4万とかだった)、電源コードが切れてスタジオでまあまあデカめの火花が出たり、たまに起動に失敗して意味不明なピッチになったりと、色々なトラブルを起こしつつも、今もそこそこは元気にしてくれている。

何が書きたかったか忘れちゃったけど、waldorfと出会ってなかったら絶対にEASTOKLABの音もなかったので、何も分からず見た目だけで買ったあの頃の自分によくやったと伝えたい。

もう一台買っちゃおうかなとは思っているので、ヤフオクなどに安く出てるの見つけたりした際は教えてください。

そういえばライブでまだ演奏していないけれど、ツアーでは何処かでやるはず!

少なくともワンマンではやると思う。

たぶんライブで演奏する機会はそんなにないから、その瞬間を噛み締めて歌えたらいいな。

うつくしいひと

2021年に書いて、それからライブでもよくやっている大切な曲。というか “See You” と “うつくしいひと” は既に会場限定のカセットテープでリリースしている(今作は再録版)。

アルバムのなかでも一番古い曲で、それこそ前作EP “Ai” に合わせて作っていたから、その時のモードが反映された自然体でフラットなイメージが、今のバンドによく似合っているし、このアルバムにもよく似合っている。

変わらなければ一緒にいられたけれど、人は自然に変わっていくから、一緒にはいられなくなってしまった。自分ではいい方向に変わっていたって、そうなってしまうことがある。

夜が更けていくたび、僕らも老けていく。

欲に耽けるたび、奥に触れていく。

この曲を書いたとき、スタジオの壁に跳ね返って耳に入る自分の書いた言葉が、すごく胸に刺さって、あ〜!ってなったな。

余談ながら、メンバー(誰かは内緒!)が彼女と別れた時、スタジオでちょっとフザけて “うつくしいひと” 歌ったるわ〜〜と演奏したところ、なぜか俺が泣いちゃうというという逸話を持つ。

See You

2021年の暮れに祖母が亡くなった。スタジオでこの曲が出来て、その帰り道に母から「婆ちゃんが亡くなったよ」と電話があった。

地元に帰って葬式に行くと、小さい頃からずっと可愛がってくれた婆ちゃんが、眠ってるみたいな顔で横になっていた。

小さい頃、兄に部屋を追い出されてしまい路頭に迷っていた俺は、婆ちゃんの部屋で一緒にテレビを見て、隣に布団を敷いて眠っていた。婆ちゃんはラジオをつけて寝るから、いつの間にか自分もそうなった。

婆ちゃんがドラマの登場人物に本気でキレてたこととか、好きなラーメン屋に2人で行ったこととか、そんなことどうでもいいようなことばかり鮮明に覚えている。

中学に入った頃に自分の部屋ができて、それからは一緒にテレビを見ることも、ラーメンを食べに行くこともなくなった。

大学に入って1 人暮らしを始めてからは、もう数えるくらいしか会ってなかったけれど、帰るといつもコッソリお金を握らせてくれた。ボケちゃって、1日に3回お金をくれたこともあった。ありがとう。

なんて薄情なんだって自分に思うけれど、婆ちゃんが教えてくれたことは全部覚えていて、忘れたりしない。

燃えて、骨を拾っている時、独特の匂いが鼻をついて、目に染みて、何か泣けた。袖で拭って婆ちゃんに見られないように隠して、帰ってこの歌詞を書いた。

また会える気がするから ”See You” ってことにした。

Melt

レコーディングも近くなってきた頃、せっかくのフルアルバムだし、今までと角度の違う一面を見せられたらなと思って作った曲。

最初 "デュイ〜ン" って感じのピッチベンドが楽しくてやっていただけだったけれど、みんながちょっとづつ合わせてくれて数分で完成。

来週にでもデモ録っちゃおうぜ〜となり、歌詞もスタジオで歌いながら出てきた言葉をメモって、ほとんどそのままになった。

きっと今回のアルバムからは外れちゃうかな〜思っていたところ、パリパリ(Gt)がこの曲いいじゃん!入れたらいいじゃん!みたいに言ってくれて一命を取り留め残留。

結果、絶妙なダークさがアルバムの流れの中でナイスな塩梅に機能し、なくてはならない曲になったと思う。

余談ながら、アルバムのタイトルを決める際に「歌詞から取ろう!」となり、最終的に『Dawn for Lovers』から "泡のような光たち" という部分をタイトルに選んだのだけど、パリパリ(Gt)の出した案の中にこの曲からとった "取り払われる計画" というものが入っており、ミステリー小説すぎてウケた。

“取り払われる計画” スーパー却下。

こうして新しい音像にチャレンジしたことによって、きっと次に見えてくるサウンドも変わってくるし、ある意味このアルバムで1番のチャレンジな曲だったような気もする。

Faint Signal

音楽って時間を伴うものだから、瞬間が大事だと思う。この一瞬、この休符、この音階。0コンマ何秒かの、その一瞬でグッと心を掴まれたりして、それが一生忘れられないような瞬間になる。

作る時もそうで、一瞬を大事にしている。だいたいはスタジオに4人集まって作るから、いつもその一瞬を大事にして、演奏しながら「今のいい!」とか「次ここ弾いて!」とか言いながらやっている。

雲を掴むような、捉え所のない作り方だと思うけれど、だからこそ生まれる一瞬の奇跡にオールベットする感じが好きだ。

日々の生活も、人生においてもそうで、そういう瞬間を待って、探している。遠くで点滅する信号を眺めながら、今だ!ってなったら走る。でも、いつも捕まえられず通り過ぎてしまう。

俺はパワプロで言うところのチャンス×なので、今まで何度か経験したデカチャンスを自らの手でぶち壊して来た。ハチャメチャ悔しいので、ちゃんと整理した上で、もう思い出したくないリストにバッチリ記載している。

きっとまた来るチャンス、ゼッテー次は掴むぞ!ってことで、いまは点滅する信号を前にしてクラウチング状態なわけだ。

ということで、訳がちょっと違うと思うけど “Faint Signal=点滅する信号” みたいな感じ。

準備はできている!いつでもかかってこいデカチャンス!はーん?怖気付いたか?ならば俺から迎えに行ってやろう!

頑張ろ。